「あなたの、それ“偏見”かも」——知らず知らずの4つの思い込みが選択を狭めている話【イドラ】

あなたのそれ、偏見かも?イドラ 哲学

あのとき、後輩にイラッとした自分に気づいた

春。年度替わりで、新人が入ってきた職場。
私はちょうどシフトの谷間で、ひとりの新人が患者対応に戸惑っているのを見かけた。
「ここはこうするといいよ」と、簡潔にアドバイスしたつもりだった。

でもその新人は、頷きながらも自分のやり方で進めてしまった。
結果、やっぱりミスになった。
その瞬間、私は心の中で「ほら言わんこっちゃない」と思っていた。

どこかで「自分のほうが経験もあるし、正しいことを言った」と信じていた。
でも帰り道、ふとよぎった違和感。

——あれって本当に「アドバイス」だったのかな?
少し威圧的な言い方になっていなかったか?
私が正しさを押しつけていただけじゃないか?

そんなふうに立ち止まって考えてみたとき、自分の中の“見えない偏り”に気づいた気がした。

結論:モヤモヤの正体は「4つの思い込みに縛られていること」

「なんであの人はあんな言い方をするんだろう」
「自分ばっかり損してる気がする」
——そう感じるとき、実は“相手のせい”じゃないことが多い。

その原因は、自分の中の4つの思い込み=イドラにあるかもしれません。

「イドラ」とは何か?——世界を歪める4つの“思い込みフィルター”

17世紀の哲学者、フランシス・ベーコンは、人間の思考が偏りや先入観に支配されていることを指摘しました。
彼はそれを「イドラ(Idola)」と呼び、次の4種類に分類しました。


① 種族のイドラ(人間という種に共通する偏見)

人間全体が持ってしまう先入観。
たとえば、「自分が見たものがすべてだ」「はっきりしていないと不安」といった、人間特有の感覚や感情による偏りです。

→私のケースでは、「正解はひとつで、私の伝えた通りがそれだ」という思い込みがこれに当たります。


② 洞窟のイドラ(個人の性格・経験による偏見)

人それぞれの育ち、経験、価値観からくる偏見。
まさに「自分の洞窟の中で見ている景色」にすぎないのに、それを“世界の真実”だと錯覚してしまいます。

→「私は新人時代、先輩の言葉をよく聞いていた」という自分の経験が、相手への期待につながっていました。


③ 市場のイドラ(言葉の使い方による誤解や混乱)

会話の中で、言葉がうまく伝わらずに誤解を生むこと。
言葉そのものの曖昧さ、意味のズレなどによって、無意識に偏見が育ちます。

→「ちゃんとアドバイスした」と思っていたけれど、相手には“命令”に聞こえていたのかもしれない。


④ 劇場のイドラ(権威や伝統を無批判に信じること)

古い考え方、学校教育、職場の常識、テレビで見た話…。
一見“正しそう”に見えるが、実は思考停止している場合も。

→「先輩の言うことは聞くべき」「薬剤師はこうあるべき」という“職場の正しさ”を、疑いもせず信じていました。


これらのイドラは、自分でも気づかないうちに“選択肢”や“人間関係”を狭めてしまうのです。

自分のイドラに気づいた春のこと

私が後輩にイラッとしたのは、
実はその人自身の行動というよりも、「こうすべき」という私自身の期待に反したからでした。

しかもその期待は、私のこれまでの経験(洞窟のイドラ)や、職場のルール(劇場のイドラ)、さらには「正しい方法は一つだ」という思い込み(種族のイドラ)から生まれていた。

気づいたとき、恥ずかしいような、でもどこかホッとしたような気持ちになりました。

「私にも偏りがある」——それを認めた瞬間から、世界の見え方がほんの少し柔らかくなった気がしたのです。

今日からできる「イドラに気づく」ワーク3選

①「これは本当に事実か?」と3秒立ち止まる

誰かに対してモヤっとしたとき、まず「これは客観的事実か?それとも私の解釈か?」と問いましょう。

たとえば、返事がそっけなかった同僚に対して「冷たくされた」と思う前に、
「彼は忙しかっただけかも」と別の可能性を探してみる。

これは、種族や洞窟のイドラに気づく練習になります。

②相手の立場で「別の物語」を想像する

言動の背景に、どんな理由があるか。
まるで作家になったつもりで、相手の物語を想像してみてください。

「もしかしたら新人の彼は、自分でやってみて評価されたいと思っていたのかもしれない」
そんなふうに考えることで、**劇場のイドラ(役割への思い込み)**から一歩離れることができます。

③自分の「常識マップ」を棚卸しする

A4の紙を一枚取り、「〜すべき」「〜であるべき」と思っていることを書き出しましょう。

  • 職場では敬語を使うべき
  • ミスをしたら謝るべき
  • 新人は先輩を立てるべき

そして、その横に「なぜそう思う?」「誰にとっての正しさ?」と自問してみてください。
これは、劇場のイドラ洞窟のイドラの“棚卸し”になります。

最後に:イドラに気づけたぶんだけ、自由になれる

私たちは、無意識のうちにたくさんの“思い込み”に囲まれて生きています。
それは決して悪いことではありません。
でも、「あ、これってイドラかも」と気づけたとき、
世界の解像度が少しだけ上がるのです。

誰かに優しくなれる。
自分を責めなくなる。
そして、「正しさ」の押しつけから自由になれる。

——そんな毎日を、少しずつ積み重ねていけたらいいですね。

ずっとこのままじゃない。
その気づきだけで、私たちは少し自由になれる。

PS:ちょいトク知識

イドラとは「偶像」という意味で「アイドル」の語源である。

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