私たち人間は皆、不完全な存在だ。完璧を目指しても、その真の理想にたどり着くことはない。
でも、それが悪いことだとなのだろうか?この記事では、「未完成だからこそ人間に価値がある」という視点をもとに、不完全さがもたらす人生の豊かさについて探っていく。この記事を読むことで、不完全であることを肯定し、人生への視点を少し変えるヒントが得られるはず。不完全さの中に隠された美しさを一緒に見つけてみませんか?
人間は未完成のまま生きる存在だ。
歴史上、誰一人として「完成した人間」なんていない。
完璧を目指す人はいるけれど、結局、誰もそこには到達できない。
それが人間というものだ。
だからこそ、最初から完璧になろうとする必要なんてない。
失敗するし、間違える。
すべてを知ることも、すべてを正しく選択することも不可能だ。
でも、それって本当に悲しいことだと思う?
「真理」なんてない。ただ、自分なりの「形」を作れる
世の中には「これこそが真理だ」と語られるものがある。
でも、自分としては「真理」なんてものは存在しないと思っている。
プラトンが言う「イデア」、つまり物事の完全な形があるとしても、
それを人間が直接見ることも、触れることもできないはずだ。
だって、人間は不完全だから。
でも、人間にはもうひとつの能力がある。
それは、自分なりの「形」を作ることだ。
たとえば、知識を集めて考えたり、経験を重ねたりすることで、
自分なりの「本質に近い何か」を築くことができる。
これはどんな分野にも共通している。
正義、美しさ、スポーツ、アクション映画、何だっていい。
知識や経験を積み重ねた分だけ、その価値がわかるし、楽しめるようになっていく。
逆に、知らないことや経験が浅いことに対しては、なかなか興味を持てない。
それが人間の性質だ。
知識や経験が「楽しむ力」を生む
例えば、男女で買い物に行ったとき、男性が化粧品売り場で退屈そうにしていたり、女性の服選びに気乗りしない様子だったりすることがある。これは単純に、化粧品や女性の服についての知識や経験がないからだ。
「どんな種類があるのか?」
「どんな基準で選ぶのか?」
「今のトレンドは何なのか?」
そうした背景を知らないと、興味を持つこと自体が難しい。
逆に、男性が夢中になっているスポーツを女性が「何が面白いの?」と感じるのも同じこと。
ルールや選手の背景を知らなければ、ボール競技はただの「ボールを追いかけるゲーム」にしか見えない。
これは男女の違いではなく、「知らないこと」に興味を持ちにくい人間の性質の話だ。
知らないものを楽しむには「好奇心」が必要
じゃあ、「知らないものは永遠に楽しめないのか?」と言えば、そうではない。
そこで大事なのが好奇心だ。
好奇心があれば、「これはどういうものなんだろう?」と興味を持つことができる。
そして、自分で調べて、少しずつ理解していく。その過程そのものが楽しい。
「わからない」が「わかる」に変わる瞬間。
そこに一つの感動がある。
このプロセスを何度も繰り返すことで、自分の中に「その分野の形」ができてくる。
そうすると、いつの間にかその物事を楽しめるようになっている。
知らなかった世界が、自分にとって価値あるものへと変わっていく。
「感動の閾値」を下げると世界が面白くなる
もっと面白いのは、この「楽しむ力」が広がると、感動のハードルがどんどん下がることだ。
今の世の中は、派手な映画やイベント、驚くようなニュースであふれている。
それらは確かに刺激的で、一瞬は感動できるかもしれない。
でも、そればかりを見続けると、日常の些細なことに感動できなくなってしまう。
でも、逆に「知ること」で自分なりの価値基準を持つことができれば、ちょっとしたことにも感動できるようになる。
例えば、サッカー選手のトラップ、パスのひとつの動作、将棋の1手の重み、
夕焼け、星空、曲の一瞬の音。
こういう小さな感動を見つけられるのは、知識や経験を通じて自分の感覚が磨かれたからだ。
数年前の自分では同じようには感じられない。
知識は世界を楽しむ「架け橋」
知識は単なる情報の詰め込みではない。
「役に立つこと」だけが知識の価値でもない。
知識とは、自分と世界をつなぐ架け橋だ。
知れば知るほど、世界が広がっていく。
そして、その橋があることで、どんなものでも意味や価値を感じられるようになる。
・不完全だからこそ、人間には価値がある
ここまで語ってきたことをまとめると、結局のところ、人間には真理なんてわからないし、完璧にもなれないという話になる。
だからこそ、最初から「完璧を目指そう」と気負う必要なんてない。
むしろ、不完全だからこそ、「知りたい」と思い、「知るために行動する」ことができる。
その過程こそが、人生を豊かにする。
感情だって、不完全だからこそ生まれるのかもしれない。
不完全であることこそに人間は価値がある。
もしかしたら、神は「完全な自分にはない美」を求めて、不完全な人間を作ったのかもしれない、と勝手に考えている。
あとがき
「完璧じゃなくてもいい」と思えたら、少し気が楽になる。
そして、知らないことに対して「知りたい」と思えたら、人生はもっと面白くなる。
不完全なまま、知って、考えて、楽しんでいこう。
そのほうが、ずっと自由に生きられるはず。
コメント