「1日15分の“ぼーっと時間”が心を整える理由」【禅】

禅 哲学

「感じる」ことが、どこかに行ってしまった気がした

年末のある日、私はカフェの窓際でひとり、温かいカフェラテを前に座っていました。やっとの思いで確保した「自分の時間」。今年の仕事も一段落ついて、ようやく心をゆるめられるはずだったのに——気がつけば、スマホを手に調べ物をしていたのです。

それは仕事とは無関係の、「来年行きたい場所10選」みたいな記事。次は何をしよう、何を得よう、と頭の中は常に動いている。そんな自分に気づいた瞬間、ふと空白が胸を突きました。

「最近、何かを“感じた”ことってあったっけ?」

帰り道、イヤホンから流れる音楽を止めてみる。すると、街の喧騒と、自分の足音と、冬の風の冷たさが急に現実感を持って迫ってきました。そのとき初めて、「あ、私ずっと“無音の時間”を忘れてた」と思ったのです。

結論:モヤモヤの正体は「“感じる”を置き去りにした日常」

私たちは、感じるよりも「考える」ことに慣れすぎてしまったのかもしれません。

考えること自体が悪いわけではありません。でも、四六時中「もっといい答えを」「今のままでいいのか」と頭を使いすぎていると、だんだん感覚が鈍くなっていく。その結果、自分がどこに向かっているのかもよく分からない、漠然としたモヤモヤに包まれていくのです。

そんなときこそ必要なのは、言葉や理屈を手放し、“ただ感じる”時間を取り戻すことでした。

「考えるな、感じろ」―― 禅の教え【不立文字】とは

禅の言葉に「不立文字(ふりゅうもんじ)」という概念があります。これは、「文字や言葉を立てない」という意味。つまり、言葉や論理に頼るのではなく、自らの感覚や体験を通じて物事の本質をつかもうという、禅の核心的な考え方です。

たとえば、「風は冷たい」と言葉にしてしまえば、それで終わってしまう。でも禅が大切にするのは、その冷たさを皮膚で感じた“その瞬間”のリアル。説明ではなく体感が真実に近いとする思想です。

あの日、私は「無音」に救われた【28歳・冬の体験談】

それに気づいたのは、28歳の冬でした。職場の年末最終日、いわゆる「仕事納め」を終えて、ホッとするはずがなぜか心がザワついていた。解放感どころか、どこか空虚で。何かをやりきった感じもなく、SNSでは他人の“キラキラ投稿”が流れていく。

「あれ、何でこんなに疲れてるんだっけ?」
答えは出ないまま、とりあえずお気に入りのカフェに向かいました。

ところが、そこでも私はスマホに手を伸ばし、頭の中はずっと何かを探している。「休んでるはずなのに、なんか疲れる」。そんな感覚が抜けなかったのです。

その帰り道、ふとイヤホンを外して歩いてみました。風の音、コートが擦れる音、自分の足音。それらが妙に新鮮で、懐かしくて、なぜか涙が出そうになりました。

「ああ、自分の感覚を、ずっと置き去りにしてたんだな」
そう気づいたとき、心のノイズが少しだけ静かになりました。

今日からできる“ぼーっと禅”ワーク3選

① “ぼーっとする15分”タイマー

まずは1日15分、何もしない時間を意識的に作ってみましょう。スマホは別室か、少なくとも手の届かない場所に置いてください。タイマーだけをセットして、ただ座る。考えごとをしてしまっても構いませんが、それも「あ、今考えてるな」と気づくだけでOKです。

大事なのは、五感をひらくこと。風の感触、部屋の光の色、外から聞こえる音。それらを“感じている自分”を見つけてください。それが、禅でいう「今ここにいる」という感覚への第一歩です。

② 無音散歩

いつもの通勤ルートでも、買い物の途中でもかまいません。イヤホンを外して、5〜10分だけ“無音で歩く”時間をとってみましょう。初めはそわそわするかもしれません。でもしばらくすると、足音や鳥の声、車の走る音など、これまでスルーしていた音たちが聞こえてきます。

その音たちは、あなたが「今」に戻るきっかけになります。未来でも過去でもなく、「今ここ」に立っている自分。そのことを身体が思い出してくれます。

③ 五感のメモ帳

寝る前、スマホを見る前に1分でできるワークです。今日、自分が“感じたこと”を五感ごとに1つずつメモしてみてください。

  • 視覚:「空がきれいだった」
  • 聴覚:「隣の席の人の笑い声が優しかった」
  • 嗅覚:「焼きたてのパンの香り」
  • 触覚:「マフラーの肌ざわり」
  • 味覚:「ほうじ茶ラテのほっとする甘さ」

たったこれだけで、1日が情報ではなく「感覚」で記憶されていきます。日々の“自分”を取り戻す、シンプルだけど強力な習慣です。

「感じる時間」が、心を整える

私たちは、毎日いろんなことを考えています。将来の不安、人間関係の悩み、SNSの反応…でも、その“考える時間”のすき間に、ほんの少しだけ“感じる時間”を入れてみることで、ずいぶん心のノイズは静かになります。

禅は何も、特別な修行ではありません。ただ、言葉を手放して、いまここにあるものを感じる。ぼーっとする時間は、サボりでも浪費でもない。あなた自身の「感覚」を取り戻す、心のリセットボタンなんです。

何もしない15分が、こんなにも豊かな時間だったなんて。あの冬の日、私はようやくそのことに気づきました。

だから、もしあなたが今、「考えすぎて疲れた」と感じているなら。
1日15分、何も考えない“ぼーっと時間”を、ぜひ持ってみてください。

それだけで、あなたの心はちゃんと整っていく。
そしてきっと、感じることの喜びが、また静かに戻ってくるはずです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました